本の言葉

そのとき西郷が、やおら立った【本の言葉】

 そのとき西郷が、やおら立った。「長州藩のお歴々も、薩摩の者も、よう見てくだされ。オイの余興はこれでごわす」と股間をもそもそたくしあげて一物をとりだし、ローソクの灯で毛をジリジリと焼きはじめた。・・・(竜馬がゆく3 司馬遼太郎 新潮文庫)


 坂本竜馬の斡旋で、薩摩と長州が討幕同盟を結んだという話は、あまりにも有名であるが、薩長は、それまでは仇敵といってもよい間柄であった。とはいえ、両者は幕末において突出した尊王の雄藩。竜馬以前にも互いに接触を図り、親和に努めていたようである。

 上のエピソードは、薩長の志士によるある懇親会からのもの。酒が入り、場が荒れたところで、それを収めるために行った西郷隆盛の奇策。陰毛を焼かれては、血の気もひいたことだろうが、このシーンをされに突っ込んで考えると、、、

 西郷は象皮病を病んで、陰嚢が腫れ上がっていたという話がある。維新の風雲期の入り口あたるこの頃に、症状がどのようなものであったかは不明であるが、陰毛を焼くという奇行以上に一同が驚愕したのは、巨大化した西郷の陰嚢だったのかも知れない。

 曰く「西郷はデッカイ奴だ」と。



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竜馬は議論しない【本の言葉】

 竜馬は議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、 と自分にいいきかせている。もし議論に勝ったとせよ。相手の名誉をうばうだけのものである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。・・・
(竜馬がゆく3 司馬遼太郎 新潮文庫)


    「議論をしない」、このくだりは、司馬遼太郎の人生訓であろうし、また坂本竜馬の人物を考える上で興味深い表現である。たしかに論破された人間が能動的になれるだろうか。袂を別つか、不快なまま諾諾と従うだけのことだろう。

 
人を動かすことが巧みであっと言われる坂本竜馬。では、彼はどのような言動で人の心に訴え、人から能動性を引き出すことができたのだろうか。

 司馬は「関が原」をはじめ戦国時代を舞台とした作品において、人が人を動かす原理は「義」や「理屈」ではなく「利」であるとしている。家康、秀吉の大成と三成の挫折をそこに見る。

 
「合理性」というのも司馬作品の重要なテーマである。商家の流れをくむ坂本家、「竜馬がゆく」でも健全な合理性が竜馬を介して描かれているものと思う。


(補記)
 「竜馬がゆく」が連載された頃は、1960年代。蒙昧な攘夷浪人を
過激化する学生運動・左翼運動の闘士に重ねて批判しているようにも思える。「議論」と「正義」そして「天誅」だけで世の中は動かない、司馬は筆を通して、そう諭していたのではないだろうか。

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竜馬はこの清河が好きではなかった【本の言葉】

 幕末の史劇は、清河八郎が幕を開け、坂本竜馬が閉じた、といわれるが、竜馬はこの清河が好きではなかった。たったひとつ、人間への愛情が足りない。万能があるくせに。・・・

(竜馬がゆく3 司馬遼太郎 新潮文庫)

 奇策の人・清河八郎と、融通無碍(ゆうずうむげ)にして王道を採る真の戦略家・坂本竜馬を、本作におおいては、しばしば対比的に描かれる。むろん、司馬遼太郎の美感によるものであり、竜馬を際立たせる創作上の演出であるが、清河には少し同情する部分がある。

 たいていの場合は、人格や人生の欠落が他人への関わり促し、その
依存関係や互恵関係の中で、他人への愛情を培う基盤を積み上げていくものである。無論、 特殊な経験や生まれや育ちの良さが愛情深い人間を形成するケースもあるが、感謝とは窮地において与えられた時、本当のありがたみを知るのではないだろう か。

 
富裕な士分の出で、万能であった清河が人間への愛情を欠いたというのであれば、それは無理もないことなのかも知れない。


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銘酒「剣菱」で知られた店である【本の言葉】

先斗町に「よしや」という料亭がある。銘酒「剣菱」で知られた店である。竜馬にとってはじめての店だが、かねがねその酒をのんでみたいと思っていた。・・・
(竜馬がゆく3 司馬遼太郎 新潮文庫)



 「竜馬がゆく」など、
幕末を舞台にした小説を読んで楽しいのは、京都の街に関する記述が多いこと。神社仏閣はもちろん、通りやお店、それらは150年以 上経った今でも現存するものが多い。小説を読みながら、竜馬らが駆けた道を頭の中でトレースするのは、京都の側に棲む行者にとって楽しい作業である。

 なお、先斗町「よしや」は、現在でも
高い評価の名店。是非一度「剣菱」を飲みに行ってみたいと思う。

 ところで、「先斗」とはポルトガル語の「先」を意味する「ポント」に由来するものだとか。であれば、その名は戦国時代あたりに遡るのだろう。

 そうであれば「よしや」という店の名前も興味深い。「よしや=ヨシュア」は、聖書(キリスト教)に登場する人物の名前であり、キリスト教は戦国時代にポルトガル人がもたらしたものであるからだ。あるいは、と想像する次第である。

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こんな腐れ藩、ないほうがましじゃ【本の言葉】

「わした土佐藩の郷士にゃァ、藩はないと思いさだめたぞ。こんな腐れ藩、ないほうがましじゃ。一朝、天下に事あらば、藩のためにも起たぬ。幕府のためにも起たぬ。京の天子のもとに集まってやる」
池内蔵太は武市半平太の勤王論の心酔者である。・・・


 現政府、為政者への鬱積した憤懣が、より上位にいる、むしろ抽象的ともいえる存在「超越的なもの」への憧憬と忠誠に結びつくという社会現象は、幕末に限ったものではなく、又、洋の東西を問わないものではなかろうか。幾分前のタイ国における政変時にも、王が担ぎ出される、そんなシーンがあったことを思い出す。

 わが国における若者を中心とした現社会からの孤立感や空虚さは、どのような超越者と結託するのだろうか。幕末の観念的かつ情緒的な勤王論者は、膨大な血の雨を降らせた。

 観念論的妄想、とりわけ昭和の軍閥を憎み、恨んだ司馬遼太郎は、合理的攘夷論者、坂本竜馬の物語を若者達にこそ読んでもらいたいのではなかろうか。

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竜馬は苦笑した【本の言葉】

「讃岐男に阿波女、伊予の学者に、土佐の高知は鬼ざむらい、でしょ」「そうそう。それにしても土佐は鬼侍とは分が悪い」竜馬は苦笑した。・・・(竜馬がゆく2・司馬遼太郎著 文春文庫)


 江戸時代における四国四州それぞれの気質をいう言葉のようだが、讃岐男とは商人の甲斐性をいい、都市的な雰囲気があり、それに対して土佐は鬼侍ということで、
四国山地で隔てられたそれぞれの地域には、強い独自性が自然と培われたということか。

 讃岐や阿波の気質がむしろ畿内に近いというのであれば、それは陸路よりむしろ海路が主要な流通であったこの時代の特徴を示しているということだろう。禁 制が緩み、それぞれのお国柄をしょった若者達が集った
幕末の江戸や京都は、さながら人種のるつぼ、そんな雰囲気だったのだろうか。

 それにしても、
「阿波女(あわおんな)」とは、一種の性的魅力をいったものとの説明が付されていたが、今日でも泡姫(あわひめ)という言葉があるのだから、これは語呂が良すぎる。

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むろん、竜馬の知らない男もきた【本の言葉】

「だから、江戸や京都を見てきたという者が帰国すると、話をききにどっと集ま る。むろん、竜馬の知らない男もきた。ひどいのになると、幡多郡の宿毛や中村といった、高知城下まで三日も四日もかかる山奥から旅装束でやってくる男もいた。」(竜馬がゆく1・司馬遼太郎著 文春文庫)

 「入り鉄砲に出女」という言葉が示すとおり、江戸幕府は内に向かっては人々の移動、交流を制限し、外に向かっては「鎖国」を以って国是とした。その甲斐あってか、250年の太平を実現したわけであるが、
「我慢」は、一方で人の好奇心をくすぐるものである。

 人類の本性であろう「知りたい」という衝動は、当時の日本人にあっても強烈なもので、それは「半開きの鎖国」(オランダ、清、朝鮮とは国交があった)という
「チラリズム」に由来したのかも知れない。


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竜馬は暗い顔をした。ひとごとではなかった【本の言葉】

「竜馬は暗い顔をした。ひとごとではなかった。土佐藩ほどの上下の身分のやかましい藩はない。たとえば、郷士の分際の者がいかに英才のもちぬしであろうとも、藩政に参加する身分にはとうていなれない。」(竜馬がゆく1・司馬遼太郎著 文春文庫)

 司馬遼太郎が強調しすぎるきらいがあるが、「尊王攘夷」と一方には「近代化」と多面的な側面を持つ明治維新であるが、
「平等への強烈な渇望」というものも、その推進力の一つであったのだろう。坂本龍馬は身分解放の闘士でもあったということか。


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