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ゲド戦記【行者の聴いた観た読んだ】

Gedo 映画はやはり観てみないと判らない。前評判や制作スタッフへの漠然とした信頼感から不安に思い、あるいは期待を抱いて映画館に臨むわけだが、やはり観てみ ないとなんとも言えない。ということで、どんな映画でも一応は観た方がいい、というのが私の結論。観ておいたら、友人に「観に行かないほうがいいよ」って 言ってあげれるしね。

 今回の【行者の聴いた観た読んだ】は、この夏の話題作、「ゲド戦記」です。鈴木プロデューサー、色々と申し上げたいことはあるンです が、

掻い摘んで(かいつまんで)申しますと、宮崎駿監督はやはり立派な方だと思います。なんと申しますか、いわば「味の濃さ」のようなものが、どんどん薄れてはいくものの(近年は特に味に複雑さが減り、直裁なメッセージが目立ちましたが)、それでも最低限度の味の深み、クオリティが維持されておれれました。

 「風の谷のナウシカ」以来、およそ20年にわたるジブリ作品の中で創作への意欲を失わず、ヒット作品を連発すると「丸くなる」などと言うことも起きがちですが、作家性と言われるものでしょうか、宮崎駿監督にしか分からないある「闇」というか、作品を見終わった後に容易にはそのテーマを断ずることを許さない複雑さがありました。

 ところが今回の作品はどうでしょう、ほら、なんていんでしょうか、料理の鉄人にあやかって作ったコンビニ弁当のようなもの、とでも言えばよいでしょうか。使っている素材は似たようなものなんですが、、、あ、これは言い過ぎましたか、ま、いずれにしてもスタッフが同じでも、料理長の味に対する深いこだわり、オリジナリティもなければ、味は細部、ディテールへのこだわりもない。どうして中世の国王が、現代的な言葉づかいで、官僚的な組織、機構に対して保健衛生に指示を出すのでしょうか。冒頭のこのシーンまず、違和感を覚えました。

 前菜のドレッシングが市販の製品のような味がした、とでも申せばよいか。「ゲド戦記」全般を覆う問題点は、ここに顕著に表れているように思います。また、アニメである以上、「画」がとても大事なんですが、前半の砂漠のシーン。のっぺり塗った砂の色。エンディングのクレジットに近隣国に下請けに出したと想像できる名前が並んでいましたが、、、まさか。

 これでは原作者が嘆くのも当然ですし、私が申すことではないですが、彼女に対するある種の裏切りではないでしょうか。彼女はこれまでのジブリ作品を高く評価して、アニメ化を認めたンですから。話が少し逸れましたが、要するに、これまでのジブリ作品には、(この点を好まないジブリファンも多くいるようですが)やはり宮崎駿監督の譲りがたい【思想性】という幹が作品を貫いていたように思うンです。(宮崎さんと初期の盟友、高畑勲さんがどんな場所で出会ったかは有名な話ですね。)

 これが鼻につくこともあるンですが、作家のこだわりゆえに、一方で容易には理解する出来ない深さ、複雑さも兼ね備えていた。台詞もしかり、画もしかり。無論、物語の展開も。それが今回の作品がどうだったのか、、、親子ほど歳の離れた、(いやいや、これは失礼、実際の親子でしたね、駿監督と吾朗監督は)人間では人生というものに当然違いがありますから、監督の力量については、これ以上は申しませんが。

 鈴木さん、世界には光と影があり、この表裏をなすものが一体として均衡を保っていて、万物はこの均衡の中で、複雑に連関しながら調和している。もちろん人間とその「生と死」も、この摂理の中に存在している、私もこれには同感なンですが、そんなことを教えてくれたこの作品自体が、「闇」や複雑さのない単調で単純な表現に止まったことが残念です。まあ、仕事でやってるンですから、色々とありますよね、鈴木さん。私も賃労働者、お気持ちを察しないわではありません。手嶌葵さんの本当に素晴らしい歌声だけを記憶に留めておきますね。

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